昨日の続きになりますが、組織と個人について、私の考え方あるいは抱いているイメージについて、また今日も書きたいと思います。

 私は現在の非営利(ここでは医療と福祉に絞るとして)に対して、私がコンサルではなくコーディネートを仕事にしていると位置づけている理由と同じイメージを感じています。

 そのイメージは、軍艦と救命ボートです。私という患者ないしは障害者は、救命ボートに乗せられ、軍艦に引っ張られています。軍艦の中にはたくさんの家があり、それぞれの家は何らかのカンバンを掲げています。救命ボートに乗った私は、軍艦の上から守衛室というカンバンを上げた家で働く人に様子を観察され、そこから必要と思われる各カンバンの下で働く人が送り込まれてきます。ないしは救命ボートにいる私が無線で軍艦の守衛室に連絡し、同様に働く人を送り込んでもらいます。

 このような状態のことを、近代の社会システムでは「支援」と呼び、「**中心」(**には患者や障害者や利用者といった言葉が入る)というコンセプトを掲げていると、私は捉えています。そして私はこのような考え方を、支援者(ないしはコンサル)の驕りであると思っています。その理由は、そこには強者・弱者という言葉に代表されるような『上下関係』が隠されているからです。

 そうではなく、私は『対等な関係』を求めています。救命ボートではなく軍艦に一緒に乗せて欲しい、そのための嵩上げが欲しいのです。そして軍艦の中心に位置づけてもらうのではなく、軍艦の中にある家のひとつとしてみてもらいたいのです。

 そのために、1)私は病気と障害を運営する事業者であり、バーチャル組織(ネットワーキング)を持った仕事人として、軍艦の中にある家の「玄関」から組織の中に入っていくことと、2)私は軍艦に乗るための嵩上げが必要な患者ないしは障害者として、軍艦の中にある家の「縁側」から組織の中に入っていくことと、の2つの入り方で私なりの組織と個人の在り方を作って行きたいと思っています。

 「一個人」(一患者・一障害者)が、外部の「組織」と向き合っていくのはとても大変なことです。ネットワークではなく、ネットワーキングと書いたのは、名刺交換して名前を知っているというような静的なネットワークではなく、機動力のあるネットワークという意味でネットワーキングとしています。また、私が考える「仕事」というのは、哲学者であるハンナ・アーレント(故人)の言う、「職人的な制作活動に象徴される目的−手段的行為」(Wikipediaより)として捉えています*1

 近代システムの中で生きていくことに心地よさを感じている方々は、私からは離れていかれると思います。なので私は、「来るものは拒まず。去るものは追わず。」の考え方でいます。

 そして、近代システムの中で生きていくことに何らかの息苦しさや苦しみを感じている方々が集まり、近代システムの良いところは残しながら(例えば「労働」における上下関係は必要なことです)、脱近代システムを作っていけたらなあと思っています。

 類は友を呼ぶ。以前にも増して、最近それを感じるようになりました。私自身を個人でもあり組織でもあると考え、組織対組織ないしは個人対個人として、『対等な関係』を構築していきたいと思っています。

 ・・・今、夜に注入したエレンタールによるお腹の張りがやっと落ち着いてきました。リハDrによると、それは張りではなく重みだよ、とのことでした。胃下垂のとよ猿は、エレンタールが重いらしいです(^^)
 

*1:ハンナ・アーレントについては、Wikipediaなど、多くのHPで紹介されています。

2 Comments

  1. ぽんた on 2009年7月8日 at 11:57 PM

    非常に 言葉を選ばなければならないことです。 相手は 支援を受ける側の立場にたってる錯覚で 尚且つ行政側の立場も死守しつつ いろんな事を進めていくわけですから、と言いつつ 私自身も夫の立場や気持ちをくみ取って 物事をはこんでいたか、自信はありません。ただ、家族が崩壊せず、なんとか普通の生活をすることに必死でした。
    渦中に入らず 離れたところから 夫の心をくすぐることを言ってくれる親族は私の必死にしてることすら理解しようとは思いませんでした。でも、現場でサポートしてくれた人々はとても良い方々に恵まれました。その方々のサポーを夫本人がもっと自分本位に組み立てれば、それも 家族が崩壊しないことを前提にできれば 同じ時をすごしても中身の濃いものになったのでは、と思うこともありました。が 夫自身 自分は何がしたいのかも考えなくても 大人になれたので 思考すること苦手でした。とよこさんは きっと
    同じ目線で考えてくれる仲間?行政のサポーターをつくれると思います。自分の思いを文字にしてしっかり発信できる方ですもの。

  2. toyokosan on 2009年7月9日 at 1:05 AM

    ぽんたさん、ありがとうございます。

    言葉を選ぶ大切さ、毎日のように痛感しています。仕事でも、ケアでも。失敗も多々あります。私は自分の本音を、ぼこぼこ(?)出しますので。。
    もちろん、現場レベルの行動を伴うサポートとして使う場合の「支援」という言葉は否定しません。ただ、「支援」という言葉が先走りしている今の社会に、疑問を抱いています。
    また最近、「やってあげる」という言葉を、私に対して多く使われる方が増えたようになったと感じています。家族からもそうです。私は患者・障害者になったとたん弱者化したんだな、近代システムはやはりそういう社会なんだと改めて感じました。

    他人の気持ちを汲み取るというのは、難しいことですよね。100%汲み取れるということはありえないし、汲み取っている最中にも気持ちは変化していきますから。。また逆に、思考も感情も自由に変わることができるように、コミュニケーションが断絶されることはあってはならないとも思っています。
    ぽんたさんが、ご主人の気持ちの理解と周りの理解の両面で、傷ついたり思いやったり伝えあったりされてきたご様子を、いただくコメントからいつも感じさせていただいています。そしてぽんたさん自身の思考と感情を、現場の行動が伴ったサポートを通して、整理されて来られたのだなとも今日のコメントから感じました。

    私の可視化を褒めていただき、ありがとうございます。自分では、まだまだ課題だらけの可視化だと思っています。誤解されることも多々あります。
    私は周りの方々に私から発信するだけでなく、周りの方々からいろんなことを受信したいと思っています。そのためにはどうやって自分の思考や感情を可視化していけばいいか、まだまだ学ばないといけません。
    ぽんたさんが気付かれたこと・感じられたこと・体験されたことを、またいろいろ教えていただければうれしいです。いつもありがとうございます。

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