池谷裕二さんと糸井重里さんの対談から感じたこと。

 今日は、ドラッグストアで買った超安物の混合ルイボスティーを煮出し、とよダンナが仕事に持っていったので少し残しておいてもらい、それを使って「ソイルイボスティー」を作りました。おいしいじゃない。ルイボスティはカフェインゼロなので(でもこの混合ルイボスティは何が入っているか良く分かりませんので、本当はカフェインが入っているかも)、えぐみがありません。今日だけで4杯くらい飲んでいます。朝とても痛かった胃が、今は落ち着いています。

 今日仕上げるべき報告書に、この時間になってもまだ手をつけていません。そして以前から気になって何度か読んでいた、糸井重里さんの「ほぼ日」HPに掲載されている脳科学者の池谷裕二さんとの対談を、再度、読み直してみました。
 http://www.1101.com/ikegaya2010/2010-09-27.html (「ほぼ日」のHPより)
 簡単に言うと、脳が先で身体が後、ではなく、身体が先で脳が後。脳が現象にラベルをつけてしまっていることに、人間は気づいていないということです(ヘタなまとめ方だなあ)。これは私が勝手にまとめた言葉なので、こういう表現が良いのかどうか分かりません。ただ、ALSという病気になって、ずっと悩みそして思い続けていることを、偶然にも「ほぼ日」のHPで、対談という形で掲載をして下さったことにより、何か取っ掛かりが見えてくるかもと感じています。

 うつ病等ではないとすると、今、私がこんなにもやる気を失せている理由が、この対談から少し解明できないだろうかと考え、読後の感想をメールで送ってみることにしました。以下がその文章です(実際に送ってみたメールの誤字・脱字を修正したものです)。

ほぼ日のみなさま

 いつも拝読させております。楽しい・ためになる情報をありがとうございます。手帳とマグネットカレンダーを購入しましたので、使える日がやってくるのを楽しみにしております。

 私は大阪に住む***と申します。**歳女性です。フリーランスとして小規模事業所や非営利活動団体への経営アドバイスをしつつ、自分自身は身体障害者・難病患者でもあります。

 池谷裕二さんと糸井重里さんとの脳を巡る対談、何度も読ませていただきました。その中の「身体事実」が先にある。後から脳が事実への解釈を「後付け」で行う、というところで、いろいろ考えさせられました。

 私の病気はALS(筋萎縮性側策硬化症)という、身体を巡る運動神経のみが死んでいき、やがて手足を動かすことも食べること、しゃべること、そして呼吸をすることもできなくなる病気です。神経疾患の一種ですが、原因が分かりませんから治療法もありません。幸い私は進行が遅い方で、今はいずれの障害もさほど重くはない状態です。ただ、右腕・右肩がほとんど使えず、脚の力もあまりないため、自転車や車の運転もできません。少しの距離なら歩けますが、大抵は電動車椅子を使用しています。

 とはいえ、仕事柄、現場へ出る(行く)ことが多いです。あえて現場に行くようにしているという側面もあります。現場へ行き、現場のにおい・雰囲気・人々と出会い、それらを最大限に活かし(あるいは改善し)、楽しい現場づくりをしていくことが大好きです。

 しかしこれらの仕事も「身体事実」あっての仕事です。私の罹患した病気は聴覚や視覚には影響はほぼありませんが(影響する場合もあります)、脚で立ってみる、歩いてみる、手で触れてみる・・・このような行為を脳が解釈をして、現在の私なりのアドバイスにつながっています。

 私はいつまでも今の仕事を続けたいのですが、病気のお陰で「身体事実」が徐々に得られなくなってきていることに、とても恐れを感じています。

 ALS(の方の療養など)を研究されている社会学の先生方等は、抽象度の高い考えをする・概念を見つけるには、ALSはある意味、ふさわしい病気であるといったこともおっしゃっています。でもそこから生まれる概念で、現場はよくなる訳がなく、その概念が現場の方々の「身体事実」につながってこそ、脳が動き始めると考えております。

 そのため、私は経営学の中で、「身体事実」の大切さを研究したいと思い(当時は「身体事実」という言葉は使っておりません)、経営学を自由に学べる大学院後期博士課程に入学しました。でもそれも、交通等のバリアと私の体力不足のため、既に3年ほど休学しています。

 前置きが長くなり申し訳ございません。

 質問なのですが、池谷先生に、「身体感覚」がつかめない・つかみにくい人の脳の働きは、どういう動きをするのかということを聞いてみたく思いました。

 五感を「身体感覚」と置き換えるのでしょうか。身体を動かすことなく、五感だけで「身体感覚」が脳に伝わる(伝える)のでしょうか。

 それらから得た「身体感覚」で、私のような仕事の仕方を続けることができるのでしょうか(この質問は個別具体的過ぎますので、無視してください)。

 意味の分かりにくいご質問で申し訳ございません。お答えはまた池谷先生と糸井さまとの再々対談の中でお話していただければうれしいです。そのころまで私の身体がPCを動かす・見ることができているよう、私は祈っておきます。

 暗いお話も交えてしまいました。大変失礼致しました。これからもほぼ日のみなさまのご活躍を楽しみにしております。ありがとうございました。

 私個人にお返事を期待してメールを書いたわけではありません。頭だけで仕事をしている訳ではない自分の今後の仕事の道を、自分なりに再度考えるために、自分自身にメールを送ったような気分です。ライフワークである障害者の職能訓練でも、これらの考えが当てはまるような気がするし、状況論とも似ているような気がしました。大学を休学する前に学習した、社会学の他の理論でもこのような理論があったように思います。でも自然科学の分野にもこのような考え方の理論があることに、この対談を通じて知りました。

 記述したからといって胸がスッキリするわけではありませんが、誰かに問いかけてみるというだけで、一人だけの悩みじゃなくなったような気持ちになれるかな、と考えました。

 なにわともあれ、今日は徹夜覚悟で報告書作成がんばります。この身体になって、徹夜なんて出来なくなってきているのは分かりつつ^^