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私の「障害受容」と、地球が障害を負わないために。

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受容とは、受け入れて取り込むという意味の言葉です。言い換えると、受容とはその人が置かれた現実の状況について、変化や抵抗しようとせずに、その過程や状況を理解しようとすること、またはその姿です。しかし、その多くはネガティブで不快な状況の姿勢であるのが現状です。私の知り合いに突然事故に遭い、30年間ずっと障害受容ができず、公営住宅にある自宅に引き込んでいる方がいます。

SDGsのコンサルタントやSDGs普及団体等の方々を拝見させていただき、ずっと私とは何か違うところがあると感じていました。それが何かはしばらくわからなかったのですが、ある時、あっそうか、障害受容をした経験をもっているかどうかの違いだと気がつきました。

私は最初、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断を受けました。しかしその2年後に、ALSではないといわれ、無病の寝たきりとなってしまいました。その後、昔に見た新聞である病気・障害の記事を思い出し、その病気・障害を診ていただける病院を訪ね、診断を受けました。その障害を受容した私はSDGsのページに書いたように、これまでの経験からSDGsの発想についてすんなりと理解できました(理解はできても、その進め方には疑問が多かったので自分で考えました)。地球が障害を負わないように、地球が障害受容をしなくていいようにするために私にできることは何かと考え、障害受容した過程をみなさまと共有し、地球はまだ病気の段階、病気が固定すると障害(障害固定)となる、でもいまならまだ病気を治せると思い、その活動の一助を担いたいと思いました。みなさまと思いを共有できますように。