本日の藤井先生です。お時間のおありの方、ご興味のおありの方、どうぞです。 三橋貴明さんのメルマガより。
本日の藤井先生です。お時間のおありの方、ご興味のおありの方、どうぞです。
三橋貴明さんのメルマガより。
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私、藤井聡は、
「〜橋下市長「大阪都構想」問題について〜
権力による言論封殺には屈しません」
http://satoshi-fujii.com/(サトシフジイ ドットコム)
にて公表した「声明文」の中で指摘したように、今、大阪の「都構想」を巡って、激しい「言論封殺」が吹き荒れている事を感じています。
そして、この「言論封殺」が放置されたまま「都構想」の住民投票が行われれば、適正な情報が投票者に提示されないままに大阪の未来が決定付けられ、結果、必ずや大阪の人々は大きく「後悔」することとなるでしょう(目隠ししたまま道路を横断するのが、どれくらい危ないことか、と同じです)。
ところで、「言論封殺」と言えば、具体的な警察権力などをもってして、発言者を拘束してしまうことのような「物理的」なものをイメージしている方も多いかも知れませんが、それ以外にも様々なものがあります。
そんな数々の「言論封殺」の中でも典型的なものが、
「詭弁」による「印象操作」
による言論封殺です。
そもそも、「言論」というものはそれがどれだけ正当でも、「詭弁」によって簡単に「封殺」されてしまします。
そして、言論を封殺すれば、詭弁を吐いたものは容易に「印象操作」が可能となります。
ましてや「権力者」がその「印象操作」を行えば、そこに強烈な「言論封殺」の圧力が生ずることとなります。
少々わかりにくいかもしれませんので、今回の都構想を巡る「言論弾圧」の事例を一つ、ご紹介したいと思います。
───当方は先日、『大阪都構想:知っていてほしい7つの事実』
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/27/fijii/
の原稿の中で、次の様な趣旨の指摘をしました。
「「都構想」の住民投票の「判断」において大切なものとして、【事実1】今回の住民投票で決まっても,「大阪都」にはなりません.という事実があります。投票にあたっては、少なくともこれを知っておきましょう」
これに対して、もし「反論」があるとするなら、「この事実1」は間違いだ、と指摘するか、あるいは、「この事実1は、投票の判断には何の影響もない」と指摘するかしかあり得ません。
しかし、この事実1は、紛う事なき事実です。
しかも、少なくとも私の友人達の中には、この【事実1】を知っただけで、
「えっ! そうやったん!? なんや、それやったら、なんか賛成する気が失せるなぁ」
というリアクションをする方が、本当にたくさんおられました。したがって、この当方の記述は、どこをどうやっても反論出来ない「構造」になっているのです(多くの人々は、都というものを、なにやらカッコイイものとして認識し、それが都構想支持の重要な要素をなしているんですね)。
ところが、(大阪維新の会には参加していない)箕面市長の倉田哲朗氏は、自身のホームページに掲載した、
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」をマジメに考える
http://blog.kurata.tv/article/113351831.html
というブログ記事の中で、上記の【事実1】について次のように論じています。
「大阪府の名称は住民投票では変わりませんよ”って話。
・・・これを一番にもってくる時点で、正直、唖然(@_@)としました。
名称なんてどうでもいいのです。それは5年前に「『大阪“都”構想』をどう思う?」で、僕自身が「自治体呼称としてのネーミングはやはり『大阪府』が好みですが」と書いたとおり。中身が大事。
それを「事実1」とか言って最初に大々的に主張されてる時点で、学者さんが書く主張として、あまりにアホらしくてビックリしました。」
http://blog.kurata.tv/article/113351831.html
皆様、どうお感じになりますか?
この倉田氏は、当方の【事実1】で論じた議論に対して、
マジメ
にお答えになっているとお感じになりますでしょうか?
当方が「投票にはネーミングが多大なる影響を及ぼす」という「政治心理学的認識」に基づいてこの【事実1】を、市民に知らしめる必要性を論じているところ…..
倉田氏はあろうことか、「自分は大阪府が好みである。」という単なる個人の主観の話を持ち出し、その主観の話とは論理的には全く無関係の「名称なんてどうでもいい」「中身が大事」なる台詞を口にした上で、何の脈絡も無く藤井の主張が「アホらし」いと、「誹謗中傷まがい」の結論を導いておられます。
これこそ、典型的な「詭弁」です。
詭弁の重要な特徴は、
1)とにかく論理的な正当性はない、
2)しかし、「相手がバカだ」「間違っている」等の印象を与える(印象操作)、
という二点にあります。つまり、論理の様に見せかけた、論理あらざるもの、それが詭弁です。
上記の倉田氏の議論は、この2つの特徴をきれいに兼ね備えたものであり、典型的な「詭弁」だと認定できます。
そして、そうした詭弁というものは、元々の言説がどれだけ正当でも、誤っているという「イメージ」を付与できる、という「パワー」を持ちます。
この「詭弁パワー」こそが、「言論封殺」の圧力源です。
ちなみに、この倉田氏が、当方が指摘した【事実2】〜【事実7】の議論についての指摘についても、全く同様の詭弁の構図を見いだすことができます。そのパターンは、次のようなものです。
1)結局、当方が指摘する「事実」については認めている。しかし、それがどうした、と論理を「すり替え」、その上で、「アホ」(引用)らしいという誹謗中傷的なイメージを当方に付与する。(事実1,2,5)
2)当方が論じている内容を無視し、一部の文章や言葉の印象だけをとらまえ、あるいは当方の主張していない事を当方が主張したと断定し、その上で、当方の主張とは無関係な論を展開し、最終的に「不見識」(引用)等という誹謗中傷的なイメージを当方に付与する(事実3、4、6、7)。
例えば、【事実4】については既に先週のメルマガ記事「大阪都構想(2)」、
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/03/fujii-129/
にて詳細に論じていますが、その議論を完全に無視した上で論じられていますし、【事実7】については、「大阪は努力せず諦めろ」なぞという主張は一切こちらがしていないにもかかわらず(首都ならずとも、都市の成長はできるのです!)、勝手にそう解釈して当方を批難しています。
・・・・
以上の様に、倉田氏の反論は、至る所に「詭弁」が潜んでおり、以上の論証で、十分に却下できるのですが、極めつけは、最後に倉田氏は次のように述べているところです。
「(このような主張をする藤井には)正直言って、橋下市長ほか大阪の政治家が、指摘する気すら失せているだろうことは、上記のとおりよくわかります。」
つまり、箕面市長という公権力の立場にある倉田氏は、様々な詭弁を用いた議論を展開しておいて、挙げ句の果てに「『不見識』(引用)で『アホ』(引用)な主張をする藤井は、相手しなくても良い」という「印象操作」をしているのです。
つまり、このブログ記事が全体として、一つの「詭弁」の構造をなしているのです。
しかもしかも、さらに恐ろしいことは、そんな「反論のように見えるブログ記事」を、さも正当であるかのようにインターネットの世界で引用すれば、詭弁による「印象操作」がますます強化され、言論はますます封殺されていくことになります。
一般にそれは「ソースロンダリング」と言われるもので、論理の不当性と印象操作との間の距離を「より遠くに離していく」ことで、「印象操作」による詭弁パワーをより増強させていく、というテクニックです。
例えば、公党の代表、かつ大阪市長である橋下氏という「公権力者」がツイッターでこの倉田氏のブログを引用しつつ、
「藤井教授の主張のでたらめさは大阪府箕面市の倉田市長がまとめてくれました。」
とコメントしておいでですが、それがまさにその「ソースロンダリング」という二人がかりのツープラトンの詭弁プレーです。この詭弁プレーを通して、「藤井の主張=でたらめ」というイメージを広く一般に普及させる事に成功しておいでなわけです。
そして、その印象操作を通して、ますます自由な言論が封殺されていくことになるわけですね。
とはいえ───私、藤井聡はこの手の公権力者達による「印象操作」を通した「言論封殺」には、徹底的に戦って参る所存です。
以上、よろしくお願いいたします!
藤井聡からのPS
高橋洋一先生が、当方が論じた「7つの事実」の一部について、反論しておいでです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42011
これについては既に、当方のFacebookで反論・解説させていただいていますが、
https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/618883238212623?pnref=story
明日にはこの高橋先生の議論へのご回答も含めた、「都構想」についての短い論説を、同じく「現代ビジネス」に掲載させていただきます。乞う、ご期待!
藤井聡からのPPS
万一、以上の当方からの「詭弁の構造についての解説」に反論なさりたい方がおられれば、詭弁でなく、正当な論理でもって、如何にしてそれが詭弁で無いのかを論証ください。それは文書で十分です。というより、詭弁の有無を判定するには、文書こそが最良の形式です。ただしそれが詭弁にまみれたものなら、時間の無駄になりますから、もう二度とこの議論には参与いたしません。
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